11月の旅。

一昨年の11月、秋が深まった頃、私は一人、黒姫から戸隠の道をゆっくり、車を走らせていた。朝から降る冷たい雨は、黒姫山にその年初めての雪をかけた。黒い山並みに白く、木々の垂直模様が連なる景色を前に、自分はその”秋と冬の間の一日のようなもの”に自分が在ると、確信していた。”寒さの中の温かさ”は”北思考”と並行し、自身から離れないテーマになっている。そして1年後、私は晩秋のイギリスに居た。展示を終え、自分の核へチューニングする必要を感じていた。秋と冬の間は、一年に一度しかない。最秋とも思える街や、冬の始まりの山を歩き、寒さの中の温かさを追いかけていた。

自分にとって”撮る”という行為は、一種、麻薬のような感じなのかもしれない。何もかも忘れ、景色になったかのように何時間もただひたすら、そういった瞬間を探すこと、自分にはこれが堪らなく喜びで、そして伝えないといけない何かなのだと、どこか堰を切るように溢れてくる何かを感じていた。社会や世界の理解を深めることは喜びである反面、自身の好きという感情を曇らせたり、罪悪感を募らせたりする。それが感じたことなのか、考えたことなのか、分からなくなってしまうことで、混乱していた時間があった。でも、無性に惹かれること、懐かしさを覚えること、人それぞれに全然違うように、自分が惹かれるということには多分、それなりの意味があるのだと思えるようになった。正しさだけで測れない、偏りや矛盾に気づくと痛い。でも、自分の声に耳を澄ますということ、そこの喜びや確かさを是とする練習。

晩秋のイギリス、秋と冬の間、誰かの生活の一瞬を垣間見ること。冷たい風とそこにある温かさのようなものが自分の体温を上げてくれたように、私は確かに感じたその感覚を通し、世界を肯定していたいし、人で在ることに祝福を唱えていたい

なぜか間違えて、小さな街に降りてしまった。道の向かいにある教会に惹かれた。鐘の音が街響いていた。訪れたのは日曜のミサの時刻で、窓の光が、教会内を照らすのが綺麗だった。