朝、窓の外は曇り空。少し寒い。昨日の夜はあんなにたらふく食べたのにちゃんとお腹が空いていた。今日は一番のロングハイクになる予定なので、朝食後にすぐに出発できるよう、早めに支度をする。ダイニングに顔を出すと朝食も夕食に引けを取らないほど、豪華。レーズンとオニオンの甘いお米料理を初めていただいた。初めは驚くけれど、なかなか美味しい。
私が昨日からカメラを構えてばかりいるから、「こっちで焼いてるよ」と、キッチンに招いてくれた。暖炉の上で、一枚一枚チーズがたっぷりと入ったハチャプリを焼いている。今日泊まっていたハイカーだけでも15人以上、一家族がやっているとは思えないほどの量、その贅沢さにほとほと感動した。美味しい食事と清潔なベッドに感謝して、朝の8:30ごろ、アディシ村(Adishi)を出発する。
厚い雲が覆う空の下でしっとりと、冷たい湿度が肌を纏う灰色の世界を歩きながら、心なし、足元の植物たちがのびのびと心地よさそうな様に癒される。水のあるところに生命がある。この旅で様々な地を歩き、つくづくそれに気づかされる。日本は水の国でどこに行っても豊かに水があるけれど、それは生命という普遍においての最上の贅沢なのかもしれないと、思ったりしながら歩く。
急な川を越えるのに、馬に跨る。疲れた表情の馬たちに跨るのは、どこか申し訳ないような気がする。それに大きなザックを背負ったまま、馬の背に乗り、濁流を越えるのは、どんな山道を歩くよりも怖かった。
その後は長く急な登りが続き、すれ違ってきた顔見知りメンバーも皆、しんどそうな表情。軽くぽつぽつと小雨が降るのも気になる、絶景のルートなのだ、晴れると良いなと思いながら登る。その、登り切った先には、見渡す限りの花畑と、白い峰々の連なる自然の大パノラマが広がっていた。疲れ果てていたはずなのに、俄然力が湧き上がりふわふわと、羽が生えたように山頂の一本道を歩く。道の脇、目の前の氷河を眺めながら寝そべって、皆、お昼にしている。時々、大きな氷が滑るような、深い地響きが空気を振るわせる。
人の幸せそうな、綻んだ表情に囲まれていると幸せで、この気配を、瓶に詰め、いつまでも大切にしておきたいなと思う。忘れないようにちゃんと、取っておきたい。写真に収めることを目的の一つとしてこの旅をしているのに、写真では決して納め切れない世界があって、カメラの電源を落とし、しばらくその世界に目を泳がせていた。いつまでもここで寝そべり過ごしていたかったけれど、今日は長い道のりが続く。名残惜しさを抱えつつも昼食を食べ終えたらまた、歩き始める。あんなに登ってきたのに、転がるように降りてゆくのは少し悔しい。
目の前に、絵のような白い山が聳える花の一本道を歩く。こんな地球の上を生きてるって、凄い。
随分と下がってきた谷間には、古い羊飼いの小屋が残されていた。背の高い草をかき分けてゆくとぽつりと木造の小さな小屋がふたつ。何もない。羊飼いは、その誰も来ない、何もない谷間の、完璧に美しく、見晴らしの良い場所に小屋を立て、夏の夜を過ごしたんだと知った。そこからはずっと平坦な一本道が続く。かつての村だった。現在は夏の間にトレイル向けのゲストハウスが一軒営業しているだけ。伝統的な石造りの家々、かつての暮らしはすでに土に還ってゆく。
(L)古い羊飼いの小屋 (R)小屋からの景色
かつての暮らしの気配、遺跡のよう
そこからさらに歩く。次第に雷が響き始める。山は夕方になると強い雨が降る。雨に降られ身体が冷えるのは避けたいと思い、疲れているけれど急足で、今日の目的イパリ村(Ipari)に着いたのは16:10ごろ。8時間弱のロングトレイルだった。それでも私は早かったのか、広いゲストハウスには全然人がないので、今日は静かなのかと思い、シャワーを浴びた後になって大勢のハイカーがやって来た。イプラリ村(Iprali)には2つしかゲストハウスがない、今日泊まるところはゲストハウスというよりもホテルに近い規模だった。
(L)chachaはジョージアンウォッカ、これはお手製ミント入り (R)庭から眺める一日の終わり
早めにシャワーを浴びてしまって良かった。スバネティ地方で作られているという赤ワインをいただきながら、外のテーブルで今日の写真を見返していると、庭に、夕食に呼ぶ声が響いた。食堂は3列の長机に40人近い人々が並ぶ。その光景はまるで小さな大広間のようで、わくわくする。机の先の王様席の立派な木彫りの椅子が置かれ、心惹かれる。復讐の塔と、ジョージアでは良く見かける渦を巻くような紋様や光のような放射線の紋様が彫られ、小さな塔が両側の肩の位置に1棟ずつ建っている。こんなに装飾を施された木の椅子を私は見たことがない。今日のゲストハウスの夕食はかなり重量級のメニューが並び、疲れた身体に沁みた…ジョージアは山岳地帯だけれど、なんでも煮込みの料理だけでなく、野菜がふんだんに使われている(といってもマヨネーズを使ったロシアサラダなど、このあたりの食の国境は曖昧かもしれない)料理が多いのは嬉しい。
たらふく食べ、皆、お酒で顔を赤め、陽気な気配の漂う食堂で、ピアノで演奏を聞いたり、次第にピンク色に染まる谷を眺めたりしながら、長い一日が暮れていった。
ピンバック:The mestia to ushguli hike 3 – my lone journey