初めの日、大自然の中にある山岳地帯メスティアから首都トビリシへと降りてきたあの日は、埃と下水と香水の混ざったカオスな街の匂いに辟易としていたのに。気づくと居心地の良さに2週間以上、何をするでもなくただここで過ごした。背は高くないががっしりとした体格の人々が暮らす街にひょろっとした日本人の顔が歩いていれば自然と目立つ、いつの間にか出会いにも恵まれ、遠く離れたジョージアという土地で、やっぱりどこか自分と似通った変な人(?笑)たちとの些細な交流ができたことが嬉しかった。
最後の日の朝、ゲストハウスの小さなベランダでひとり、朝食にしていた。朝は冷たい空気が纏っていて、日陰には心地いい風が吹く。すると向かいのアパートの窓が開き、スカーフを巻いたお婆さんが一人、お祈りを始める。胸の前で十字を切ると、お婆さんは再び部屋の中へ、風に靡くカーテンだけが心地良さそうに揺れているのを眺めながら、ふとした瞬間に出会う、至極私的な物語が私には尊いと思った。


寂しい気持ちを抱えつつ、旅を先に進めないと。ゲストハウス出会ったチャイニーズの子にお守りをもらった。彼女もこれからアルメニアに行くみたい、See you again, maybe…?! そういってハグをしたけれど、アルメニアでは出会えなかった。


白く汚れた靴、街に似合わなくて少し恥ずかしい。でも、本当に色々なところを歩いてきた旅の色をしている。
ゲストハウスを後に、坂道の途中にある古いSt.ninoの教会へ、この旅のお礼をしに伺った。古い教会のようで、外部の石造りから内部に足を踏み入れると圧巻の色鮮やかなビザンティン調の色彩群、こんなにも教会に通い詰めたのに未だ慣れない。何度来ても、どこもそれぞれの個性がありいつも感動で膝の力が抜けてしまう。St.nino charchの内部は描き直したものなのだろう、内部全体が鮮やかな青、聖書の教えが描かれている。聖人たちの服ひとつひとつ、装飾ひとつひとつの細やかさ。私はある一定の神を信じない、それでもここの美しさに、人というものの無限をおもう。この街でたくさん、心震えた。


教会の一角にあるスタンドでおじさんから蝋燭を買った。すると、まるまると赤黒く熟れて美味しそうなプラムを二つくれた。私の名前をジョージア文字で書いてくれる。マドロバと言って、教会を出る。私はスカーフを頭から外し、ベンチに置いていた重たいザックを背負って、強すぎる白い光の下でゆらゆらゆらめく木漏れ日が地面に、私の身体に陰影を落とすのを眺めながら、急な坂を下った。


アルメニアの首都エレバンまで、約5時間半。バス停からミニバスが見つからなくて、夏のトビリシの日差しと重すぎるザックにやられながらなんとか出発ギリギリでアルメニア人の運転手に出会った時にはもう安堵も安堵、そこからほとんど爆睡してしまった。一緒に乗っていたアルメニア人の女の子二人に起こされた時にはイミグレだった。重たすぎる身体と眠すぎる頭をなんとか持ち上げて、ジョージア入りする時は地獄のイミグレだったからどうかと思っていたけれど、半分瞼が閉じていても終了してしまうほどあっさりと、アルメニアに入国してしまった。再びバンに乗り込み、振り返ると白地に赤い十字のジョージアの旗が風に揺れる。また好きな場所がこの地球に増えた。そのことが、嬉しい。


アルメニアのSA飯、米料理が多い
少し目も覚めて、しばらく気だるい身体をシートに埋めながら車窓越し、外の世界を眺めていた。丸い丘、低山がいくつも連なる。木々がないから、どこまでも緑と乾燥した土の大地が剥き出しだ。水の国日本では見かけない景色、異国情緒。

すると突然、目の前の視界が開け、緑から青の世界に切り替わる。淡い紫色をした雲と、まっさらな青い湖。どこまでもつづくような大きな湖、セヴァン湖だ。湖畔沿いには山が囲み、その山にはまるで雲を一列に絞ったかのよう。雲と並行して進む車窓越し、その不思議さに胸が高鳴った。



セヴァン湖を抜け、原初の荒野のような果てしない大地を抜け、紅色の荒地を走らせる。そんな果てしない荒野とところどころ、ポツンと小さな集落があるような道の中で唐突、荒地の谷間に広がる無数のネオンが光るのを見つける。アルメニア・エレバンに着いた。
バス停からホテルに移動するのは修行のようだった。笑 暑くて重くて疲れ果てていた。なんとか旅のアドレナリンを出そうにももう限界で、心を無にして足を前に前に。ホテルに着いてシャワーを浴び、すぐ近くのスーパーへ行くと見たことない形の1Lビールがたくさん売っている。しかも、安い!モルヒネの如く1Lビールを流し込んだ後は、記憶がない。多分気絶でもしていたんだろう。笑


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