Mtsukheta

首都トビリシの隣にある古都ムツヘタへ訪れた。ムツヘタの手前のショッピングモールまでバスで、そこからヤンデックスで配車し山の上にあるジュワリ教会に向かう。ムツヘタはジョージアにキリスト教が布教した4世紀からの古都。その古都と川を見落とすように建てられたジュワリ修道院は、604年建立。1400年前も今も、山の上から街を見下ろすその修道院の威厳は多分変わらないだろう。RBGの世界観。堅強な石造、小さな明かり取りの窓だけの厳かな境内。しかし残念ながら私の訪れた際は改装しており、天井部のデザインなど見ることができなかったことや、景観は素晴らしいけれど、丘の上に建立する場所柄なのか観光地感が否めず、観光客ばかりだったというのが私のジュワリ教会の記憶だ。それよりも、眼下に広がるムツヘタ、綺麗な青い川と濁流の川のちょうど交わるところ、橙色の屋根屋根が連なる小さな街並みがとても美しいなと思った。

内陸ジョージア、青く霞む遠山の連なりというものが好きだった。

周囲にいる観光客はタクシーやツアーバスで眼下のムツヘタに向かうよう。私はせっかくなのでそのままムツヘタの街まで軽くハイク。誰一人いない木漏れ日のトンネルを抜け、花束のような坂を下った。足元には、青いアザミのような花が星のように咲きほこっている。空から落ちてきたみたいだな、と思う。

ムツヘタの手前の青い川の橋を渡った頃、やっと人と出会す、魚が獲れるよう。そうしてムツヘタの街の石畳を踏み始めた頃に大粒の白い雨が降ってきた。ジョージア正教の総本山、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂 ”Svetitskhoveli Cathedral”へ。霧の立ちこめる灰色の街で、教会に、雨がよく似合っていたことを憶えている。古い教会では珍しくゴシック様式のように天井高な建物。境内は写真を撮れないため記録はないけれど、風化し、彩度が落ちたテンペラ画に内包される。星座図や大地、海、様々な生き物や聖人たちが描かれる境内は、宇宙みたい。椅子などの木彫の装飾、錫板のレリーフ、様々な教会を訪れてきたけれど、力の入れようと、大切にされていることが伝わってくる。じっくりと木彫りのレリーフを眺めていると、種から木へと変化する紋様が彫ってあり、「なんの意味があるのだろう」と、記憶していた。後に調べてみると”スヴェティ・ツホヴェリ”とは”生命樹”を意味すると知り、あの大きな境内そのものが”樹”という一つの宇宙だったのだと改めて、思い返している。

そこから5分くらい歩いたところにあるサムタバロ修道院”Samtavro’s Convent”では、人々が花束を持ち長い列をなしている。日曜日の教会は、観光客よりも祈りに訪れるジョージアの人々が多く見られた。どうやら聖人の特別な日だったようで、棺桶に手を添えキスをし、額をつけ、十字を切る人々の信仰の深さを目にすると、なぜだ分からないけれど、私は泣きたくなった。静かな日曜日の午後、蝋燭と、薔薇の赤が灯される薄暗い境内の柱の脇に佇んで、気が済むまでその姿を眺めていた。

心が、どこか違うところに浮いて行ってしまったような心地で、修道院の脇のお店へ。日本でいう授与所のような感じのお店で、イコンや聖書、十字の御数珠のようなものが売られている。そこで、出会ってしまった手のひらに乗る羊の蝋燭の可愛さに悶絶し、3匹を連れて帰ってきた。マジックで描いたような歪な目、コロンとしたフォルム、絶対に、灯せない…

バスに揺られてトビリシまで帰った。前日はUZU HOUSEで明け方まで飲み食べの疲れがどっと押し寄せていた。雨の降る道、重たい体を引きずってなんとかゲストハウスに辿り着き、早々に寝てしまったような気がする。

MEMO

ムツヘタの街にあった修道院群はmonastery ・convent・cathedral と表記が様々だった。どれも修道院を指すけれど、monasteryは僧侶の暮らす施設、conventは修道女の暮らす施設、cathedralは司祭のいる大きな修道院を指すということ。初めて知ったので、メモ。