Mestia 山に囲まれて

毎日、大自然の中で歩き通し、レンズ構え通し。私のカップは、並々に注がれた飲み物のように満たされていた。メスティアでの宿泊は、大体ゲストハウス。ダブルベッドの一人部屋だったので、ゆっくりと過ごす。

メスティアは谷間の街で、全方向緑の山に囲まれ、さらにその先に白い峰々が頭を覗かせてる山深い地域。窓を開け、どんなに深く息を吸い込んでも、草や土の匂いしかしない。大通りにはスーパーや八百屋さん、ドラッグストアやパン屋など一通りのお店は揃っている。何をしなくても、ここにいるだけで、なんとなく幸せ。少し街を歩き、閉店時間かと思うほど混乱したスーパーの中で色々物色したり、街の公園で木漏れ日に揺られながら写真を編集したり、人々を眺めたりする。

(L)メスティア、裏道に入るとこんなに広い空  (R)このぼろぼろ卵の適当な感じがが旅っぽい笑

ジョージア人の3人の女性が斜め向かいのベンチに座る。お喋りしながら、スーパーで買ってきたひまわりの種を器用に歯で剥き実だけ食べ、殻は足元にポイポイと放るのでそのうち周囲が殻だらけになる。手頃なカフェやファミレスなどないし、ここでは公園がお喋りの場みたい。どこからか歩いてきた女の子は私のそばにいた大きな犬に、まだ食べ始めたばかりの棒付きのチョコレートアイスを差し出す。犬も大きな舌で舐めるので、「え、持っていかれちゃうんじゃない?」とそわそわ見守っていると、女の子は丸ごとアイスを犬にあげてしまった。女の子は満足そうにそのまま歩いて行ってしまった。そんなことをただ、眺めているだけなのだけれど。ただ立ち止まり、そこの空気に馴染んでみることは、行き先が決められたような旅ではなかなか叶わない。これもまた、私には贅沢に思えた。

ジョージアのお婆さん

そんな風に特に何もしなかったメスティアだったけれど、スバネティ歴史民族博物館にだけは足を運んでみた。もう一度あの木彫群を見たかった。博物館はモダンな造りの建物で、最近建て直しされたそう。スバネティ地方の特異な生活表現はジョージアの中でも注目されていることが分かる。装飾の豊かな剣や重厚感のある写本の世界観は、現在ではファンタジーのよう。イコンや写本はルネサンス以前、神の教えを認知させるために用いた時代の美術品たち。豪華絢爛に、神を讃えている。

(L)こんな写本、ぱかっと口を開き牙を剥き出してガシガシやられそう(ハリーポッターの見過ぎ) (R)ビザンティンと東方教会の精神の血が流れるイコン群

ただ、ウシュグリ村で見たような民具はあまり出会えなかった。手放さないのかもしれない。北方寄りの文化に惹かれる自分にとっては、山岳民族の暮らしの中にある素朴な世界観に惹かれた。

窓越し、白樺が銀緑色の葉を揺らす先には、小高い復讐の塔が並ぶのを眺める。まるで、大きな絵を見ているよう。そして靴を脱いでソファに寝転がる人々のくつろぎっぷりも、なかなかいい感じ。笑 

窓の外の、白い峰が次第に赤色から青に、そして黒く染まってゆく夕暮れが美しい。

このままのんびりとメスティアの美しい風に吹かれていた反面、前に進まないといけない気がした。正直、どこか満足したような気もしていた。でも今日本に帰ったら私に待ち受ける道はなんだろう。自分と向き合う時間が欲しい。そんな風に思い、揺られる気持ちのまま私は街へ降りた。


首都トビリシは、香水と下水と埃が混じったような、街の匂いにうんざりした。でもそれは、旅の匂いだった。

大きなザックを背負う逞しい4つの背中。

大人になってもこうやって、ザックを背負って異国の地に赴き、自然の中を自らの足で歩けることの逞しさに美しさを憶えた。そもそも、大人になるって一体、いつからなんだろうか。体裁ばかり、大人になってゆく。