羽田に足を踏み入れた、それだけで視界がぼやける…
2019年ぶりの、空の旅。空を飛ぶことは、膨大なエネルギーを使うことだ。環境への負荷、金額、そういったものを全て理解しながらもこの選択をした。
これは旅の記録と自分の記憶。価値観がごろごろと音を立てて変化するから。数年単位の悩みが、ある日するりとなんの力を入れずとも自然に違う次元にいることに気づくから。旅と共に変化する自分の気づき以外もう、今の自分には、ない。
滑走路を走るときに見えた倉庫のなか、”SMILE 安全第一” いつも、誰かの仕事が私をまた生かしてくれているなぁ
コロナ禍であらゆるものが加速した、ことは誰の目にも瞭然だ。
街を見たって、高級層は庶民的なものを、庶民層は高級路線で。結局、両者の矢印は同じところに向かう。どこに行っても同じような展開。そしたらなんだ一緒じゃない?って手を組みましょうよって。いつかアメーバみたいにぶくぶくと大きくなって、いつかその大きな大きな一つが賄いきれず、破裂するんだと、思った。だから、小さく在りたいと強く思った、小さく回さなくては駄目だと駆られた。表情を読み取れる距離で私ができる小さなこと、そればかり考えていた考えていた。でも、何を選ぼうとしても心に引っ掛かるのは「私まだ、外に出れていない…」そうして結局、仕事も、引っ越しも、表現も、全て中途半端ででここまで来てしまった今、いつまでも進めない自分が外に出なかったらもう、今までの自分が報われないわけだ。あの時全てを躊躇してきた自分のこと、自分が許せなくなってしまう、いつか動くためにってずっと目を塞いできたなにか、我慢してきたなにか、いつかじゃなくてもう今動かないと、前に進んでいけない…でも、外に出れば大きな渦に私も巻き込まれていってしまうのかな、私の選択とこれからのBETTERをどう繋げてゆけば良いのかな、苦しかった。
でもある時ふと思ったのは日本人より日本人のように、日本を体得する外国人がいるように此処じゃなくても良いと。此処じゃないどこかで小さな世界を作ったって、その輪で回すことが自分の幸せになるならそれが良いんだって。自分の地を見つけ、そこで耕して良いんだって…それはぶくぶくと大きく成ることではない。
この数年ずーーーと肩に乗っていた何かを手放したかったんだと思う。
日本からのはじめの機内食が不味かったことは一度もない。日本のお米、慣れ親しんだ味付け、フレッシュな果物。痛恨の撮り忘れ、メインはとろみのある餡かけ牛丼。自分の偏愛、機内食ともいつぶりの再会だ。機内食って無条件にワクワクするのはなんでだろう、味は抜きにして笑
いつか空の旅ができなくなる日が来るかもしれないから この喜びを、納めておくんだ。