Diligan1 旅の形

セヴァンからディリジャンは車でたったの40分(日本はアルメニアの12.7倍の面積、アルメニア自体が日本のひとつの地方くらいのサイズ感と小さな国なのだけれども)しかし、セヴァン湖を抜けるとどんどん高度が下がり、窓から外のモヤァっと湿気を帯びた空気が入り込むと、周囲の緑も一層と深くなってきた。そうしてあっという間に到着したディリジャンの街はとっぷりと緑に包まれる森林リゾートのようだった。

標高なのか、透明感のあるセヴァンは神秘的で美しかった。それに比べ、ディリジャンの自然はどこか馴染みがあり、木々も活き活きとしている。豊潤な谷間の土地。でもここについた頃、私は今後のルートについて悶々と悩んでいた。旅をしながらどれほど書き、撮り、編集し、形にできるだろうかと思っていたけれど。毎日毎日新しいことが目の前にやってくる旅先では、思ったことを書き留めたり、写真を収めるだけで精一杯。編集することはおろか、その場所の歴史や文化の情報に触れることすら追いつかず、形にすることなど不可能だった。世界一周に出ている人々は、その時々の感情、土地々々の情報を一体どう処理しているんだろうか…リトアニア・ラトビア・エストニアの森を歩きたいし、そこで暮らす人々の暮らしに触れてみたい。キリスト布教が一番遅いそれらの国のアミニスム的精神・文化を、コーカサスの国々の風土と比較したかった。それにもっと北、ずっと焦がれているラップランドももうすぐそばだ。スコットランドの文化にも触れたい、重厚なゴシックの街、その先に続く岩と苔と、灰色の大地を歩いてみたい。この旅の最中、宗教美術の美しさに改めて圧巻し、今ならばイタリアに行けることも確信した。ルネサンスやロマネスクの宇宙に自分の身を放り出してみたい、人の手が生み出した芸術を浴びてみたい…一体なんでこんなに貪欲なんだろうか。ブッタも呆れてものが言えない。汗 歩いてみたい道、見たい絵、吹かれてみたい風、多すぎる。でも私の旅は、そのまま続けてゆくのは違うんだろうなとも思い始めていた。

そんな頭を整理したくて、ディリジャンの街の中心地にあった素敵なカフェに数回お世話になった。そこでも14歳以上の若者が働ける社会施設としての役割があり、若い子達が働いていた。ブルーナのような色合いのカラフルなのにちょっと落ち着きのあるグラフィックがとてもお洒落で、素敵だった。

セヴァンのBohemとはまた異なるけれど、ここはもっと社会的に14歳以上の若者が働ける場としての役割があり、若い子達がカフェを営んでいた。メニューやグッズ展開がブルーナのような、カラフルなのにちょっと落ち着きのある色合いのグラフィックでとてもお洒落、素敵だった。


旅、こんな重たい荷物を抱え、不自由さもあり、それなのに全く飽きる気配がない。でももっときちんと深める時間を取りたい。その気持ちを大事にするには、一旦帰国する必要があるように感じた。ゆっくりと本を読みたかったし、そろそろ髪も整えたいな。日本に帰ろう、決断して航空券を取った。トビリシからカタール経由の成田行き。悔しいような、安堵したような気持ちでテラスに出る。ディリジャンの街はしっとりと雨の降る灰色の日だった。

その決断だけで疲れていた。そう言えばお腹も空いていた。ちょっと動こうと思い、ゲストハウスの目の前、スーパーの前にジェンガロブ・ハツの屋台に。寡黙なご夫婦が営むそのお店で、ジェンガロブ・ハツを頼むと、熱々のもちもち、屋台で食べていくことにすると、綺麗に半分に切ってくれた。あぁまた食べたい。ハーブとスパイスがたっぷりのもちもちのジェンガロブ・ハツ。ペロリと食べ終えて、メルシーと伝え、そのままスーパーへ行きメロンを半玉買った。コーカサスではメロンがとっても安くて、お腹いっぱいメロンが食べれるなんて夢みたいだった。

結局どこにいても、暮らす速度でそこに居たい。それが自分の旅のようだ。この先も、短い休暇、大急ぎで観光と移動を繰り返す旅行ではなく、旅と暮らしの間の眼差しで、可能な限りその風土を確かめていたい…

森を歩いた帰りにスーパーに寄り、シャワーを浴びる。レトロなコンロで適当に料理し、調教のされていないピアノを弾いたり、写真を整えたり、窓の外の緑に見惚れたりしたらもう、夜が来る。そういった取るに足らない一日を、旅先で過ごすこと。そういうことが心に残ってる。