Day1 夏の光 イスタンブール

旅をしながらどれほど書けるのかと思っていたのだけれど。

旅しながら撮り、編集しながら書き、形にすることは私にはとても難しかった。息するように新しい毎日がやってくるたびに、撮ること、書くことで精一杯だったな…それでも、夢中で書き溜めたメモ、膨大な写真を見返すと一瞬一瞬、旅の日常に引き戻される。

旅の日記は赤裸々に、iPhoneで記録した写真や文で残してみよう。

さて、イスタンブール空港からの記憶を脳内で追想する。広く天井高で先進的な空港に降り立った瞬間、朝の眩しさを思い出すことから、始めよう。

中華系航空は低価格だからよくお世話になるけど、まぁ確かに機内は賑やかだったりする。笑 でも初めての四川航空は、丁寧で、キャビンアテンダントの人たちがパンダが横を向いたようなエプロンをつけていたのも、可愛いかったなぁ。機内食はあんかけご飯みたいなもの、見た目はなんだか懐かしい機内食のような雰囲気で、味も美味しい。ただ中国のパンだけはなんだかいつも受け付けなくて…なんでだろう、確かに中華料理には乾燥したパンよりも潤いのあるパオ系が合うからあまり重要視されないのかなぁ、マントウ出してくれたら嬉しいなと思う。

空港でお腹が空いしまって、深夜なのにコンビニでベーグルサンドも食べちゃった。胡桃が入っていて、パン生地も美味しかった〜!ちゃんと地上では美味しいものが沢山あるんだろうな、中国は近くて遠い国。

長いフライトを経てついたのは朝8:00ごろ。中東らしい圧倒的なサイズ感と先進的なデザインのイスタンブール空港、朝の光が差し込むラウンジ。空の旅で微睡んでいた意識も、その清々しさに次第に冴えてくるのを感じる。空港からメトロの地下に降り、イスタンブールカードという交通カードを買い街に出る。

空港でもメトロでも、私がiPhoneの画面を見ていると声をかけ、気にかけてくれる人がいる。トルコ人は人が優しいと常々聞くけれど、彼らはメトロの乗り換えという日常生活のなかで、旅人にさらりと声をかけ、導いてくれる優しさの速度のようなものがあった。

メトロから地上に上がると、まっさらな空、オリーブの木の葉から白い光がさす。見たことない白い光と透明な風。ただそこに居るだけで幸せな、私の知らない世界だった。その透明な風に吹かれて一瞬で私は、ここが好きだなぁと思った。

トルコの首都、イスタンブールはかつての都コンスタンティノープル。時代を遡ればヨーロッパに属する時代も長く、限りなくヨーロッパの気配を漂う街だったが、やはりヒジャブを纏う女性が道を歩く姿や、朝から店先というほとんどの店先で小さなグラスを両手が持ちチャイするおじさんなど、エキゾチックな人々の文化も印象的だった。

日本ではイスラム文化に触れられる場所ってそう多くないと思う。特にモスクは、裏渋の道をまっすぐ行くとある東京ジャーミーくらいしか分からない。だから、イスタンブール旧市街へ向かうトラムから、車窓越し、そのふっくらとパンが発酵したような円形の屋根に、尖塔が立ったモスクがいくつも点在する街を一望し、思わず小さく感嘆の声をあげてしまった。その不思議な街の光景に胸が高鳴った。1000年以上、商人、船乗り、学者などあらゆる人々がこの街を見て、ここで同じように「うわぁ」と、胸を高鳴らせたんだろうと思うと感慨深く、その気持ちを私もまた、旅人として重ね合わせるように。

そうしてひとまずアヤソフィアの周辺にあるゲストハウスまで大きなザックを下ろしに行き、身軽になったので周囲の観光街を歩いてみることにした。お昼時だったので昼食にしようと思うが、思い描くようなトルコの食堂・ロカンタには出会えない。庶民的なものを食べたいんだけれどなぁと思いつつ、暑さでへとへとだったので逃げるように入ったレストランで昼食をいただいた。挽肉をぎゅっと手で絞ったような形のギョフテとレンズ豆のスープ、レモンをたっぷり絞っていただくスープが美味しかった。

その後、アヤソフィアに行こうと足を運んだけれど、入場料が5000円くらいするので驚いてしまい、諦めた。ムスリムの人々には別に礼拝の列があって、まぁその列に観光客が並んだり、それを引き止めたり。いくらなんでも、高いよねぇ……. 結果、アヤソフィア以外にも旧市街側にはたくさんのモスクがあり、そのどれも異なる装飾が施され美しさに圧巻だったので(もちろん無料で)、他のモスクに十分に感動を味わせてもらったので良かったのかな。

まぁでもその時はアヤソフィア、うぅ…高いよ…と少し気落ちして、ひとまず無料で入れるブルーモスクに足を運んだ。

外観からはその荘厳さに圧巻されるが、一度モスクに足を踏み入れれば内部は、小さな花を束ねたように華やかで、優雅な世界に包まれる。大きな曲線を描く天井を見上げると、膝の力が抜けた。

イスラムの世界は特定の偶像を信仰の対象として持っていないため、アラベスク紋様(唐草紋様)、幾多的紋様に包まれ、人々はその気配に祈りを捧げている。紋様自体には意味をなしていないそうだけれど、よく見られるカーネーションは天国を意味するそう。

モスクは男性の礼拝堂は正面なのに対し、女性の礼拝堂は後ろ側だったり壁の向こうだったりと目につかないような場所にある。イスラムの世界、女性が卑下されているように見えるかといえば、そんなこともないように思えた。男尊女卑の強いと言われるイスラムの世界で、その気配に祈る人々の頭上には優美で、女性的な世界がふっくらと広がっているように見えたのだ。神に祈りを捧げる時に、男性は女性に、女性は男性にと気が散らないよう、あくまで神への祈りを集中できるようにと男女の隔たりがあるようだけれど、かえってその隔たりが意識を強めてしまうということもあるんじゃないかなぁなどと思う。

モスクのおかげで私まで優しい気持ちになった。

その後は飛行機の疲れもあったので無理せず。個人的に旅の楽しみ、スーパーへ行くことに。トルコのスーパーのことはまたじっくり書こう。

その日は昼食と疲れであまりお腹も空かず、スーパーで買ったネクタリンとスナックとビール(この背徳感も旅の一部…)を片手にちょっと調べ物し、就寝。