The mestia to ushguli hike 1

窓から差し込む光で、眠りから目を醒ました。

昨日は地方都市ズグディディ(Zugdidi)から午前10時にマルシュルートカ(ワゴン車の公共交通機関)に乗り込んだのに、真夏の日差しで焼けるような車内で5時間以上も待ち(乗客が集まったら出発する制度)、出発したのは16時ごろ…メスティアに到着したのは20時を過ぎ。へとへとだった。着いた木造のゲストハウスは一人でふたつの大きなベッド、テラスからは星空が見れた。居心地も良いし、もう一晩、メスティアでのんびりしてから行こうかと思ったけれど…天気も良いので、少しの疲れを引きずりながらも出発することに。

南コーカサス山脈の麓にあるメスティアという街から3泊4日かけ、標高2200mにあるウシュグリ村まで向かう。これから数日間、何か商店などあるのか、明確な情報がないままにひとまず、スーパーで買ったビスケットやゆで卵、エネルギーが切れた時のためのワインなどを詰め、歩き始めた。午前10時、そんな遅い時間から歩き始めている人はいなくて、いつまでもずっと一人で谷間を越えてゆく。既に太陽は高く昇り、強い光にくらくらする。復讐の塔が聳える小さな村々がいくつも点在する谷間の先、大きな夏の積乱雲を追いかけるように歩いた。いつの日か、この復讐の塔の聳える谷間の景色を画面越し目にした時に、心打たれ、いつか必ずここへ足を運び風に吹かれてみたいと思った。いくつもあるこの旅、大きなきっかけでもあったと思う。

「復讐の塔」は民家に併設する高さ5mくらいはある石造りの塔で、世界でもスバネティ地方にだけに見られる特異な建物として世界遺産にも登録されている。東西南北に支配される歴史を持ちながらも、アッパースバネティに独自の文化が残されているのは、山暮らしの人々の民族性の強さだったそう。人々は小高い復讐の塔から敵の動向を見張りながら、自分たちの独自の暮らしと文化を守った。しかしその身内を守る固い絆は、裏を返すと人々の猛々しさにもなる。スバネティ地方には、身内が何か危害に遭うようなことがあれば、その仕返しをしなければならないというような「血の掟」という風習があり、人々はその塔に立て籠もることで身を守ったそう。私はその血生臭い歴史があったことなどは知らず、ただその圧倒的大自然の中に人間の作りあげた文化が存在している状態に惹かれた。古いものでは1000年以上も前から存在するという、剥き出しにガレた岩を積み重ねた石の塔が谷間に点在する景色を目の前にし、風に吹かれていると、ずいぶん遠くまでやって来たんだなと思った。

何台も過ぎてゆく車の横を歩きながら私は、脇に咲く花々が鮮やかでなかなか歩みが進まない。

自然の中に、文化が存在するということが私を惹きつけてやまない。自然か文化かなどと二元論に縛られていたのは私の方だった。芸術に強く惹かれながらも、芸術は格差があるほどに生まれるものだと構造を頭が理解してしまった以上どこか、躊躇を憶えるようになった。その反面、自然は容赦なく平等だ。両者に惹かれながらも、なぜか自然一択に振り切れなかったのは、頭では分かっていても心のほうが反応してしまうことを自分自身が知っていたからだろう。自然の織りなす山間に点々と人の暮らしがある、その両者があってこその自然。という状態そのものが何にも変えられず、また時の流れと主に流動することこそが尚、美しいのだろう。

自然の中に存在する人が紡いだ文化、なぜか混じり合いそこにそうして存在すると言う状態。本当に奇跡みたいな事ばかりが溢れかえる星に、今、自分が在ると言うことの喜び。その悠久の時の中の一点で在ると言うことを感じてみる。長い長い時間の中のたったの一点で在る自分の今、それでも私のとってはかけがえのないものだ。生きていてこんなふうに長い時間を感じることがあっただろうか。歩き、自分の鼓動を確かめながら。

順調に歩き進めていた道の先、橋の上に牛の大群がいる。初めは珍しい光景に面白がっていたけれど、近寄ってその牛の顔の獰猛さにたじろいだ。今まで牛が横を通ってもこちらのことなど気にしていないか、むしろ怖がるようにささっと早足で過ぎてしまうことが多かったのに、その牛のギャングは見るからに私の存在を面白がるような目をしていた。どうしよう…渡れない…しばらく牛の前で立ち往生していると軽トラがやってきて橋の前で親指を立てて後ろにクイっと!そのまま軽トラの後ろに飛び乗らせてもらい、牛ギャングにクラクションで対抗するトラックの後ろで身を縮めていると颯爽に切り抜けた。「助かった〜」トラックの後ろは風が気持ちよくて、歩いてきた谷を見渡した。どこかの村のご夫婦なんだと思う、窓から手を出してこのあたり?って具合に。分かれ道のところで降ろしてもらう。誰かの優しさで旅してるんだ、本当に。

一番暑い午後15時ごろ、やっと、今日のゲストハウスのあるサルダシ(Tsaldashi)村へ着いた。村といっても広い野原の先にぽつ、ぽつと数軒の家があるだけ。門の脇にある小さな梯子を最後の力を振り絞り登って、雛菊が咲き乱れる野原の一本道を歩いた先、ゲストハウスにたどり着いた。着くや否や、キッチンに招かれ熱々のジョージアコーヒーと野で採れたような小さな苺をいただいた。テーブルには野花が飾られ、横のグラスにおやつを足してくれた。大汗をかきながら、ジョージアコーヒーを啜った。サラサラの髪をした小さな男の子がキッチンと庭を行ったり来たりする影が、可愛かった。

ゲストハウスといっても民家の2階が数部屋宿泊できるような感じ、清潔な部屋、窓からはどこまでも続く野原と、遠くには雪を被った山が見渡せる。シャワーを浴びて、持ってきた夕食を食べるとすぐに眠ってしまった。ふと気がつくと外はまだ明るい。食べてすぐに寝落ちしてしまいお腹が重たいし、周囲を散歩してみようと思う。日中はくらくらするほどの日差しも夕方から夜には冷え込む。野原の先にある丘には牛たちが食事をしている。そこまでいってみることに。部屋を出るとテラスに一人の女性がいる。スマートフォンを充電し、ケーキを食べている。同い年くらいだろうか。挨拶をし、少し話をした。ロンドンに住んでいるパレスチナ出身の彼女は、フィルムカメラを構え、大きなザックにテントを背負って歩いているそうで、今日もテント泊。少しハスキーな声とメッシーな髪がとても素敵だった。すでに日が落ち始めていたので、気をつけてねと声をかけ、お別れをした。

丘の中腹の、一本の木の下に水が沸いている。腰掛けるのにちょうどよい美しい形をした木で、まるで、どこからか大きな目を見開きゆったりと瞬きをしそうなほど、生き生きとした風情で佇んでいた。その脇の水を試しに飲んでみると、発泡感と強い鉄の味に驚き咄嗟に口から出してしまった。水道管が錆び、これ、人間が飲んだらまずいのかもしれない…水は怖いので少し焦る私の横で、牛たちが大きく喉を鳴らしながらその水を飲んでいる。お腹壊さないといいな…

牛たちのカウベル、草を喰む音、どこからか鳴く澄んだ鳥の鳴き声以外に聞こえるものは何もない。そのまま丘に登り、歩いてきた谷間を見下ろし、次第に暮れてゆく茜色の世界に包まれ、静かに息をした。後からゲストハウスに戻り、食後にコーヒーをいただきながらお母さんに水のことを尋ねてみた。その水の味に驚いたと伝えると、笑いながら、鉄分が豊富で、栄養価の高いミネラルウォーターだけれど、なんでも置いておくと赤くなってしまうそう。お腹も大丈夫そうだし、ひと安心。

その夜も深い頃、眠りから目をさますと部屋の窓から星が見える。その小さな窓から見える星だけでも、すごい数の星の光が瞬いているのが見えて、急いで、でも物音を立てないようそっと、外に出た。本当に真っ暗な世界。iPhoneの光だけが僅かに足元を照らすも、その光量の少なさを知る。月の無い静かな夜、白い靄のような天の川がかかり、空が明るく見える。真っ暗闇に包まれながら、経験したことのない星空に高揚しながら、自分の息遣いだけを感じていた。