Day3 ビザンツの宇宙

イスタンブールに滞在したのはたったの3日。行ける場所も限られる。私の滞在している中心地からは少し離れた一つのモスクが気になって仕方なかった。イスタンブール滞在最後の日、そのモスクへ向かってみたけれど、バスの乗り継ぎに失敗してしまった。こんなに街の中に様々なモスクがあるんだから、わざわざ遠いモスクまで行く必要ないかもしれない、諦めようかなと過った。疲れている時はあまり無理しても、せっかく拾える色々なものを見逃してしまったりする。そのまま途中のカフェでお茶をすることにする。温かいハーブティーを飲んで、ぼーとすると、気持ちが戻ってきた。やっぱり行ってみようかな。地図を開いてみるとちょうど近くのバス停から一本だった。きっと行く必要があるんだな。

トルコのバスは扉が閉まるのが妙に早い。椅子から降りてスタンバイしていても、降りれなかったりする。その時も、扉の前にいたのにあっという間に扉を閉められてしまって焦っていると、おじさんが大きな声で呼びかけてくれ、再び扉が開いた。急いで外に出て、後ろを振り返り、ガラス越しにおじさんに頭を下げる。と、おじさんは”Anytime”って具合に顎をクイっと持ち上げて答えてくれた。

旅に緊張はつきものだけれど、無事バス停に着くとほっとする。優しい人がいて助かった。バスが去り、振り向くと、バス停にはヒジャブを巻いた3人のお婆さんにじっと見つめられる。目があったので少しだけ口角をあげて、教会へ歩き出した時のその白い光を私はまだ、覚えている。周囲は小高い丘になっていて、風情のある石畳の急坂の道を降りて教会へ向かった。限りなく南ヨーロッパの雰囲気だなと思った。

その気になっていたモスク、カーリエジャーミーに到着した。その小さなモスクの外壁はピンク色の石が積まれたような建物で少し派手な印象を持った。けれど、内部に足を踏み入れた瞬間、全身の空気がしなしなと抜けてしまうようだった。内部には圧巻のモザイク画、そして青い宇宙のようなフレスコ画が両側の壁から弧を描き、天井を覆っていた。美しいものを目の前にするといつも全身がぶるぶると震えて、自分の肉体が魂とぴったりとくっついているような気がする。そのアンバランスな私の欲求について、マズロー先生に物申したいほど私は美しいものに目がない。疲れが全部、するすると抜けてゆくのを感じた。

ビザンツ時代はキリスト教の礼拝堂として利用され、その後オスマン帝国支配下によりイスラム教のモスクとして役割を変え、形はあまり変えずに、ただ圧巻のフレスコ画やモザイクタイルは漆喰に覆われてしまっていたそう…なんと、残酷。でもそのおかげで劣化を免れ、鮮やかさを留めているよう。その後、修復された後、博物館として開かれていたけれど、また最近になりモスクとしての役割を復活させたらしい。複雑すぎる。

ビザンツのモザイク画は当時、識字率の低い時代にも、多くの人々への理解を深めるために様式的な図、象徴としての役割を担っていたもの。ルネサンス以前の芸術は、現在でいう芸術としての表現力とはまた異なるもので、人も生き物も無表情、表面的なものが多い。けれど、ここカーリエジジャーミーは14世紀ビザンツ後期に再建された礼拝堂。5世紀から続いたビザンツ美術も、13世紀以降には「パレオロゴス朝ルネサンス」と称されるギリシャの影響を受けた写実的な表現がなされていったそうで、天井のフレスコ画を見上げれば、青のなかに円を描く神々の表情は息吹を帯びているように見えた。

小さな境内にどれほどの時間いたのだろう。惜しい気持ちを残しながらも、外に出た。目が開けられないほどの白い世界に慣れるまで、モスクの脇に座り、風に吹かれ、余韻に浸った。

それからは、石畳の坂を降ってみることにした。旧市街側だけれど、中心地から離れた地域だからか、ずいぶん庶民的な雰囲気のある地域だった。窓辺には洗濯物が揺れ、猫たちは長い昼寝の最中、脇の細い道から子どもたちがかけてくる。

坂を下ったところに小さな商店があった。店先には青いプラムが積まれている。暑くて仕方なかったので、その青いプラムをいくつか買った。その商店のすぐそばのパン屋さん、クッキーが並ぶショーケースに惹かれ店内を覗くと、大きなパン釜の前でおばさんが一人せっせと仕込みをしている。店先に並ぶ素朴で可愛いクッキーも、きっとこのおばさんが一人で作っているんだろうな。せっかくなので、ごまがたっぷりと纏ったシミットを買った。私、こういうお店には目がないんだ、おばさんが黙々とやっているような。味はもちろん、美味しかった。

モスクの美しさに気分も上がり、すっかり元気になってしまったので、その日はガラタ橋を超え、対岸にあるカラキョイ地区まで足を伸ばしてみた。こちらにはもっと文化的な雰囲気みたいだったけれど、信じられないほどの観光客の多さにすっかりへとへとになってしまった。

(左)カラキョイ地区もヨーロッパのような街並み (右)SALT Galata オスマン帝国時代から残るオスマン銀行をリノベしたギャラリー。吹き抜け天井の図書館がある。

暑さと人混みに消耗し、ここは自分の居場所じゃないなと、そそくさとボスポラス海峡の見える場所まで移動する。こういった新しいもの、文化的なものに目がない自分だったけれど、最近は何に触れても、自然にかなうものはないと感じてしまう。価値観がごろごろと音を立てるように変化し、自分が分からなくなって、怖かった。新しいものを以前みたいに楽しめてない自分も。

海峡沿いは遊歩道のようになっていて、なんと、柵がなかった。笑 こんなの絶対落ちちゃうだろうな…と思いつつ、日陰に入り、海を前に足を伸ばす。透明で、さらりとした風が肌を抜ける。この風を瓶に詰め、日本に送ってあげたいな、と思う。すると、隣にいた少年たちが次々に海に向かってダイブ!落ちちゃう心配も他所に自ら飛び込んじゃうなんて。少年たちはモスクに向かって、大きな水飛沫を上げながら泳ぐ、泳ぐ。映画でひと場面のような可愛い光景に、私もまた夢中でカメラを構えながら、イスタンブールで過ごす最後の、夏の午後が過ぎていった。

可愛い写真は撮れたし、すっかり満足したし、早めにゲストハウスに預けているザックを受け取り移動しようと思ったけれど、どこからかサバの焼けるいい匂い…観光客向けなのは分かっていたんだけれど…結局夕食はそこで、サルサとパクチーが効いたジューシーなサバロールにレモンをギュッと絞って、美味しい…

先日食べたサバサンドの大雑把な美味しさとはまた違う。日本のように湿度のある風のもとではお米といただくのが一番だと思うけれど、こんなに乾燥した地にいるとサバにも小麦とレモンがよく合う。同じ食材でもその気候風土で美味しさも変化することが面白いなと感じた。和食が好きだけれど、旅先では、その土地に馴染んだものをいただくのがきっと一番、良い。

お腹も満たされ、ゲストハウスにザックを受け取りに行き、シャワーを借りたらもうひと頑張りな日。夜行バスのある電車は海底トンネルみたいになっていて、旧市街側から向かいのカドゥキョイ地区へ向かう。その日は夜行バスに乗りカッパドキアまで。本当は、庶民の暮らしが見れるカドゥキョイ地区のロカンタで食事をしたり、商店街を見てみたかったのだけれど、狭い道やお店に大きなザックで行くのは難しいのかなと思い、諦めた。

イスタンブールがこんなに素敵な街だったなんて。トルコ西の街イズミールから南の街アンタルまで古代の遺跡や青い海の続く世界にも凄く惹かれたけれど…カメラを放り出して海に入ってしまいそうなので、お預け。笑 海岸沿いにトレイルコースもあるようだし、歩いて、海に入り疲れを取って、適当に料理して夜はゆっくり寝て、また目を覚まし歩む、ような旅も憧れる。いつかしてみたいな。

バス停で大きなザックを置かせてもらい、スーパーでおやつと飲み物を買い、外のベンチに座って待機していた。あんなに暑い日中も夜になると風が冷たく、心地いい。バスのおじさんに呼ばれ、乗り込むと、日本のシートよりも大きくなシートにすっぽりと収まった。やっと安心して、一気に眠気がやってきた。高速バスは眠れるタイプじゃないはずだけれど…その日はもう、そのままシートに溶け込むように眠りについた。