目が覚めたとき、目の前に赤い丘陵が広がっていた。初めて目にする世界だった。
ちょうど日の出の時刻、前方の丘から太陽の光が差し込む。朝一番初めの太陽、ものすごく強い光だった。
砂漠のような乾燥した丘がいくつも連なる一本道、時々、小さな街のようなものが出てくる。こんな乾燥したところで、毎朝、この太陽が地平線から上がる朝のある、星降るような空のある暮らしを想う。日常って、なんだろう…そうして車窓越しの世界を楽しんでいると次第にカッパドキアらしい奇形の岩が現れ始める。地図を確認するともうそろそろ着きそうだ。
カッパドキアの朝はひんやりとした高原のような空気、本白くて不思議な形をした岩が街をぐるりと囲んだ本当に不思議な街だった。
カッパドキアは砂漠地帯に近い気候風土を持ち、日差しが強く日中は高温、空気は乾燥していて汗はあっという間にさらりと乾いてしまう。陽が沈むと途端に空気は冷え、夜の世界になる。
ゲストハウスに荷物を置かせてもらった後、今日は無理せず近場でいけるところをと思った。こんな大自然の中でお昼にできたら良いなと思いたち、ひとまずスーパーへ行きラップロールとピスタチオ入りのハムとりんご、そして1.5Lの水を買い、適当に買い物をしてザックに詰め、ギョレメ中心地から歩いていける野外博物館へ向かった。野外博物館へ向かう途中の道すらも、見たこともないような奇形の岩が連なる大地が広がり、その不思議さに圧巻された。白い岩に咲く植物たちも乾燥し、色の薄い葉を揺らしていて可愛い。野に咲く花々がまるでコンセプチュアルな花屋のように、統一感があり、自然という想像主には全く、かなわない….と思った。
幾台もツアーの車が超えてゆく道の脇で、なかなか歩みの進まない自分には、地道に、自分の足で歩いて向かうのが向いていると思った、暑いけど。スピードを出してる車からは見えないものが、本当に、沢山あるから。
なんとか駐車場のあたりまで上がってくると小さな中見せ通りのような一本道にドンドルマのお店がある。ドンドルマとはトルコアイスという粘着質のあるアイスクリームのこと。イスタンブールで食べたドンドルマが250リラ(1000円!!)もして(橋のたもとの観光一等地で食べてしまったからかもしれない)味は美味しかったのに少しトラウマになっていた。笑 が、そこでは50リラ(300円以下)だった…吸い寄せられるようにお願いしてみたが、なんだかほんのひと掬いをペッとコーンにアイスを貼りつけただけ。おーこれは海外だよねぇとなかなかなクオリティ。笑 ドンドルマ運が悪いよう。選んだのはピスタチオ、味はとっても美味しかったけど、ドンドルマ食べるのはもうトラウマだ。笑
屋外博物館と言ってもそこは屋外の岩窟群の密集した地域、どこも同じような岩窟群があるのにここへ入る必要があるかしらと思いつつ、チケットを購入するのに炎天下で20−30分くらい待つ。こういうところは日本ではあまり見られないんじゃないかと思う。平気で割り込みも普通。その異文化に真っ向から立ち向かえるほどでもなく、これが異文化かぁと思いながら抜かされながら、いつかは来るでしょうとじっと待つ。無事チケットを購入し、入った博物館内の岩窟教会や住居は、素晴らしいものだった。巌窟に入った瞬間、同じ世界とは思えないほどにひんやりとした空気。音のない世界にみるみる疲れが抜けていくのを感じる。外観の岩肌からは、全く想像できない静寂が岩の内側に広がっていた。
初めに足を踏み入れた聖バルバラ教会はオフホワイトの岩に施された朱色の線のナイーブな装飾。少し気の抜ける落書きのような装飾。けれど、偶像崇拝を禁止されるなか祈りを続けるために描かれたその装飾には裏の意味を持つそうで、描かれた3匹の亀はキリスト、聖ヨハネ、聖母マリアを表すそう。迫害され、命を危ぶまれながらも偶像に自身の命を乞い願っていたことを思うと、まるで矛盾しているように感じるけれど、それほどまでに祈ることが人々の精神的な支えだったのだろう。
水を感じないカッパドキア、植物は乾燥し、色度の薄い葉を風に揺らすように、洞窟内もまた1000年以上前にも及ぶ美術群があこそまで綺麗に保存されているのは、陽の光を避け、空気の巡らない洞内ですらいかに年中乾燥した土地かと、想像に容易かった。
カッパドキアの岩窟群で驚くことはその清潔感だ。生き物の気配が全くない。私の洞窟の印象は、湿度があり空気がこもり、コウモリの糞の匂いがしたりするものだと思っていたが、カッパドキアの洞内は住居そのものだった。その環境が、時を止めたかのように美術群を現存させているようだった。洞内には落書きのような引っ掻き傷がたくさんあった。こんなふうに岩に掘るなんて鋭利な石の先端か、釘のようなものでなければここまであとはつかないだろうなと思う。そもそもそんなことをしていたらバレるだろうし、目に留まるだろうと思っていた。後から調べていると、ギリシャの巡礼者達の祈りが書かれていて、古いものが1600年代〜1800年代まであるそうで、もはやそれすらも複合した文化そのものだと思った。
かつての食堂には火元の穴と、向かい合って20人は座れそうな長テーブル。ほとんど真っ暗な空間で、蝋燭の灯りを頼りに食事を囲んでいた暮らしに思いを馳せる。声を出さなければ静寂の世界だけれど、きっとここにも子どもたちがいて、そんな静寂とは無縁の日々だったのだろう。夏はこんなにもまっさらな空が広がるカッパドキアだ、晴れた日は外で食事などしていたのだろうか、きっとしていただろうなぁと想像する。音のない洞内で、わずかな光が差し込めば、その静けさに心静まる。自然の柔らかな造形に施された壁画に、癒されていった。
ゆっくりと見学し、全て見終えた頃にはツアーの人々はほとんど次のエリアへと移動してしまっていた。人の少なくなったそこで、私はオリーブの木影に入り、風の心地よさに暫く身を任せる。谷には白く、有機的な曲線を描く岩が連なりに、小さな鳩の巣が沢山ある。その周りを薄い色の羽を持つ鳩たちが羽を広げ、風に乗っている様が優雅で、鳩は本来こんなに美しく舞うものなのだと、気づいた。
お腹も空いてきたので、人気のない、景色の良い場所を探しに行くことに。野外博物館の前の坂をもう少し上がってみると、360度カラフルな大地の層が見渡せる。霞がかった地平線まで大陸が続いている景色に、ここは、大陸なのだと実感した。道から外れた野原に、背の低いアプリコットの木を見つける。ちょうどいい木陰になっていたので、持ってきていた布を敷木、お昼にした。
木漏れ日の下で、風の音しかしない。顔を上げると、柔らかな葉が揺れ、白い光が差し込むのを見つめていた。
帰り道すがら、ターキッシュの家族がアプリコットの木に登り、実を取っていた。すれ違いざま挨拶すると、そのアプリコットをくれる。そのみずみずしい綺麗な橙色のアプリコットを齧りながら、午後の道を歩いた。早めにゲストハウスに戻り、シャワーを浴び、近くのスーパーに買い物に行って、夕食にパスタを作ることにした。夕方の光が差し込むキッチンで、トマトと玉ねぎ、ケバブ肉を煮込んで簡単にパスタにする。ヨーグルトと初めて見る不思議な形をしたCorum Mantisiというものを買ってみた。
食べてみるとパスタみたいなもちもち感はない。実際には茹でて、ヨーグルトソースとパクチーをかけていただく前菜の分類に入るみたい。邪道な使い方をしてしまったけれど、現地でしか見ないものをなんとかやりくりして食べるようなことが、私の旅の楽しみのひとつだと思う。
明日は、気球が空を浮かぶ景色が見れるだろうかと、期待しながら、カッパドキの夜は更けていった。