Manilaでのこと1

価値観の崩壊、旅はシンプルに大切なことを思い出す、太陽の光とか。

しばらく滞在予定のiloilo cityへと向かうため、経験も兼ねManila(マニラ)での滞在を決めた。

(私の訪れた時期はHoly Week(フィリピンのお盆)で、主要なショッピングモール、ミュージアム等公的施設、電車、カフェなど街中がほとんど閉鎖。空いているのはチェーン店くらい。フィリピンは祝日が多いのでチェックしてきた方が良いかも)

Manilaの空港 Ninoy Aquino international airpot(ニノイアキノ空港)を出た瞬間のあの、むうわぁ〜とした高温多湿、忘れられないだろうな…0時を回ってるそこは混沌とした熱帯夜だった。初っ端から、しんど…

空港出ると、とにかく車車車、クラクションが鳴り響く。目の前のGrab SpotでGrabの手配、重たいザックを下ろし、椅子に腰掛けると係りの女性が私に水をくれた。そういうことがすごく嬉しいのが、旅の醍醐味だ。暑いにの、嬉しくてもっと熱くなってしまい大汗をかいてたけれど笑

これはあくまで私の見たManila、

Manilaにも整った観光地は沢山ある!!SM mall Asiaはアジア最大のショッピングモール、MakatiやBay areaにはお洒落なカフェや綺麗なホテルもある。だから観光なら、それが休日の海外旅行なら、わざわざ嫌な思いをすることなどないから、そのエリアでManilaの良さを見つけることで十分だと思う。

Manila=怖いだけでは決してない。

でもここにはManilaで感じたメモのまま、残しておこう。

空港からGrabでPasayのゲストハウスに移動するもこれが大失敗だった。私の部屋だけ酷かったのかもしれないが長い空の旅で疲労していたのにも関わらず、恐ろしく不潔な部屋に通され南京虫でもいたらどうしようと思うと寝転がることすらまともにできない。

アジアの洗礼だ…

結局HPが下がりすぎて急遽、ホテルチェンジ…

久しぶりの国外。実は初めての東南アジアで、初めから気が削がれることばかりだったな。

次のホテルへ、PasayからManilaへと向かう道、初めての物乞いの方に出会う。交通量も多く、酷いルールの道路で車の間を縫いながら赤ちゃんを抱いた老女(のように見えた女性)が突如車窓を掃除しじっと目を見つめ手を出す、金をくれ、と。その目が、じっと、見つめるあの黒い目に、私は喰らってしまった。

タクシーの中で一人、ぼろぼろと泣いた。なんであの時私、運転手が閉めた窓の鍵を解除しあの母親に、あの子どもに、お金渡さなかったんだろう。と

マニラ中心地にはスペイン統治時代を思わせる建築が様々に見られる。装飾に富み、色使いも可愛らしく目を惹く。けれどその衰退ぶりも酷い。作れと言われるがまま作ったものの、それに対する愛着も、資金もないのか、壊れてゆくものを直すことなくそのままに。当時は美しかったのだろうと思うようなビルも、半崩壊したまま人々が暮らしているその姿は、もはやホラー映像すら思わせる、虚しさに胸が痛くなる。上が変わるたびに180度振り回される数百年、振り回されたことによるものか、この暑さで培われた本来のおおらかによるものか、「無気力」。この街はどこかにどうでもいいというような悲しみが漂う街に思えた。

生きようと声をかける者も沢山いるが、生きる意味を失ってただ熱風を避け路上で寝転がっているような姿も見られ、胸が痛かった。でも何もできなかった。

マニラの中心、リサール公園のそばの道を歩いていると、道路脇の下水が漏れている場所で水浴びをする子ども、それを注意する警察を目にする。子どもは動じずに、警察も生半可な雰囲気で両者「どうしようもない」、それでも生きているんだなと思った。

橋を歩こうとすると寄りかかる物乞いの親子がいる前を歩くのはやはり少し、怖い。すると、私の半分よりも小さな背の女の子が私の顔を見てmoneyと唱えながら、後ろ歩き。避けるたびに瞬時に移動するこの動きは、慣れていなければできるはずがない。

街を歩いているとフィリピーナの脚、トライシクルのおじさんよくに声を掛けられる。こちらも酷暑のなか反応する気力も失い、見向きもせずにズンズン歩く、が、ふと無視してしまった車は若い父親の運転する車だったと気づく。

「あ…….」

振り向いて気づいたら何か違っていた?自分に問いかける声に胸が萎む気がした。小さな子どもを乗せた若い父親のあの目を、一体どう受け止めたらいいんだろう。「なんで、こどもなんて産んだのよ」そんな残酷な言葉が頭によぎり、自分のその悍ましさに、怯えた。自身の命だけでも精一杯な路上での日々で、それでも子どもを持ちたかったのか、種の存続という欲求は、こんな酷な衛生にも勝るのか。

頭も心もぐちゃぐちゃだった。

混沌としたマニラの中心で、際立って荘厳なのは国立美術館だった。Nationalの文字、目に見える税金の形が、これか…命よりも、衛生よりも。文化は人生を豊かにするとマニラの中心で声高らかに謳うようなこの建物を目の前にするとあまりにも違和感を憶えイライラした。国の税金は、街の衛生や福祉に還元されずにいるのだろうか…

実際には無料で開かれているようなので、分からない。この酷暑のマニラの中心で、確かに市民の憩いの場として機能しているのか?ある程度の身なりでなければ中に入ることは難しいのだろうけれど。現状を確かめることはできなかった。

マニラでの街歩き、悲しさと、息苦しさ。眉間に皺を寄せ歩いた。

けれど、この国の人々のあっけらかんとした壁のなさ、柔らかさに自然に癒されていることにも気づいたり…。