mt.Hirahyo DAY1 平標山へ

梅雨の晴れ間、夏山の始まりに、平標山と仙ノ倉山、大黒ノ頭まで。

2023.06. 1泊2日のこと

8:00に越後湯沢に着くと、バス停では長蛇の列。私の前の女性に「平標山の登山口へ行くバスですよね」と、確認する。私は何故か山に行くと人に話しかけることができる(時もある笑)。黒い髪を後ろに結い、25lくらいの身軽なザックを背負う女性。多分彼女も、一人静かに山を楽しみにきたのだろうと、親しみを憶えた。

越後湯沢駅から平標山登山口まではバスで約30分。

大体、公共交通機関で山へ行くとなると、駅から登山口までが遠い。登る前から一つミッションクリアしたような気持になるのだが、「今回の山行は登山口まで距離が比較的近く、良いなぁ」などと呑気に考えていた、が、それはつまるところ登山口が低地で、六月の妙高は既に熱く、標高の分だけ荷揚げが待っているということだった笑

山は、一人が良い。

と、いうと語弊もあるのかもしれない。

勿論、誰かとの山も、楽しい。

誰かと行くときは、一緒に食べるのはどんなものが楽しいかとレシピを練り準備をしたり、足を止めておやつを交換したり、山小屋でビールを乾杯したりする。「あの山の帰りに割り箸をくれたおじちゃん、神様だったね」なんていうささやかな思い出を共有できるのは、幸せだ。けれど、本当の意味で、山を愉しむためには私は一人が良いようだ。

山の数だけそれぞれの質感を持っている。

一歩一歩自分の足元を見つめながら、

微かな足裏の感覚を確かめる。

白肌の花崗岩の美しい道や、鋭い岩肌の地をガラガラと音を立てて歩む、巨石が積み上げられたような山肌をよじ登ることもあれば、泥っぽい山道に足を取られるのはやっぱり、しんどい。そういった、ひとつひとつを味わいながら「この山はこういった、山なのか」と、向き合いながら歩く。時々、顔を上げると木々の間からは山の稜線が、目と同じ高さに見える。「登ってきたなぁ」と、風を感じると本当に、気持ちいい。それはシンプルに、自分の身体と繋がっているという感じでありながら、周囲の緑に、風に、自らが溶け込んでいるようでもある。

そういった、私の身体でありながら私の身体でないような感覚に、安心する。

間違いなく私たちも自然なんだよな…と。

松手山~平標山は登山口の標高が低地にあり、

標高は2000mの山で高山でもないのでない。

足元は泥っぽく、登るのはしんどい。

しかも6月の半ばは蒸し暑く、強い日差しに堪える。

次第に足元の高山植物にはっとする。

そういった瞬間に何とか助けられながら私は長い登りを歩む。

山に行くからこそ出会える初夏の高山植物たちを、記録。

ウラジロヨウラク

ウラジロヨウラクがまるでロシアの地名のようで一人北方を連想するも的外れ(笑)湿り気のある草原や湿地帯の山地に植生するそうで、ブナ林いるそう。

オオイワカガミ

蝋のような光沢のある質感。
パッションピンクにフリンジの姿。

ベニサラサドウダン(紅更紗満天星)

山地に生息する花。一言では言い難い、深紅の釣鐘の花々のトンネルには、登りで疲れた身体を癒してくれる。華やな漢字の名称が、似合う。

ハクサンイチゲ

平標山と仙ノ倉山を繋ぐ木道は、お花場畑。

雪解けと共に花を咲かす初夏の花ということ、少し前まで雪だったのだと思うと、植物の芽吹きの喜びが周囲に漂う。

松手山から平標山に登る山道がなかなかの急勾配(笑)

しんどーいと思いながらも、振り向くと山々のパノラマが絶景で気持ちいい。向かいの人が多いとペースが掴みにくいけれど振り返ればここは先を急がずにのんびりと登るのが良いのかなぁと思う。私は結局ペース掴めず、急いで登って疲れました)

平標山 1,984m

平標山の山頂は、名の通りに平な山。

そしてその日は満員御礼。皆さんこの山道を登ってきたのですか?と思うほど…健康って本当に、素晴らしい。心の中ででお疲れさまでしたと声をかける。

平標山にはハクサンイチゲやミヤマキンバイのお花畑。

チングルマもなっていたので秋頃はまた、くるくる踊る姿が可愛いでしょうね。

ハクサンイチゲが揺れる先には、雲海。

天空のお花畑に居る自分が、不思議。

そのまま仙ノ倉山まで行こうかと思ったけれど、今日は避難小屋へ泊る予定。想像以上に人も多く、予約もできないので早めに切り上げ、平標山乃家へ向かう。

眼下に小さく見える赤い屋根が平標山乃家。

近く遠くの山並みを仰ぎながら、一歩一歩、降る。前を歩く方のザックにつけられたクマよけの大きな鈴が周りの空気を震わせ良い音色を響かせる。リーン、リーンと、気持ちいい。あと、少し。

平標山乃家

山乃家に木漏れ日がリフレクトする、美しい午後だった。
扉を開けると小さく暗い談話室に、一面の窓。自然が織りなすその絵は贅沢に、暗いから尚、美しく思われた。小屋のおじさんに声をかけ、宿泊簿に名前を書き、寝床へ。

一日に13名しか入れない小さな平標山乃家は、小屋のご夫婦も食事も魅力的だったのだけれどその日はあいにく満員で。清潔な避難小屋は既に6人分の寝袋が敷かれていた。窓辺の、壁に本が並べてある一角を確保できて安心する。(結果その日は9名も避難小屋に泊まり、満員だと思う)

靴を脱いで、サンダルを履き、
髪をお団子にくくって、新潟のビールで乾杯!

平標山乃家の素晴らしいところは湧き水が出ていること。
思う存分に水を飲み、顔を洗い、タオルを濡らして体を吹くと、
心も身体も潤った気持ちになる。

東側、仙ノ倉を崇めながら風に吹かれる。

小屋の受付から、夕食の支度をする小屋のご夫婦の姿見える。夕方の光の射し込む台所、黙々と、人が仕事する姿はどうしてこうも美しいのかと、思う。

山ごはん

16:30、お腹が空いてきたので私も夕食の支度を始める。

先日の山登りの際にふと思いつたレシピ、(レシピと言えないけれど)ハードパンの上に凍らして持ってきたカマンベールチーズを切り、パンに載せ、網の上で焼く。焦げのにおいが漂ってきたら岩塩とピンクペッパーを散らす、綺麗。山用にストックしておいたパックのワインと一緒に、かんぱーい

切ってきたキャベツを岩塩とオリーブオイルで炒め、しんなりしてきたら、カマンベールをあえてとろりとさせる。最後に胡椒を振って簡単なアペロ。つまみながらお湯も沸かす。コーヒーを淹れ、残りの分でパスタを茹でる。山ではゆで汁を残したくないので加減して、カルディで見つけ楽しみにしていたウニクリームパスタのソースをあえて、海苔を散らし完成。

こんなに幸せでいいのかな…

足を動かし山に抱かれ空腹で食事をする、シンプルな幸せだ。

けれどこの幸せは、山小屋のご夫婦が小屋をやってくれていて、今日も仕事してくれている電車やバスの方がいて、そういった見えない誰かが沢山いて、気持ちよく送り出してくれる家族がいてそして、自分自身の健康があってこそ、今この幸せを感じることが出来る。シンプルだけれど、そんな幾重に折り重なり叶う、幸せだ。

そういったことにいつも気にかけられたらいいのだけれど、日々暮らしていると忘れてしまう自分がいる。そういうことに、今の時間に、深く感謝する。山は私にとってそういう時間になっている。

次第に日が傾いてくる山の肩で、夕刻に、風に吹かれそんなことを考えていた。

ただ、こんなにも虫に囲まれたことがないほどに黄色のアブが顔にも頭皮にもTシャツの中にも入ってきて大変(笑)

「夕方の時間帯に発生する黄色いヤツは強力なんだよね」という声も聞こえ、ちょっとぎょっとする。

「でもこいつら水の綺麗なところにしか生息しないから、まぁ水が綺麗ってことなんだけど」と、ほぉ。まぁ仕方ない、彼らの住む場所に今日はお邪魔させてもらっているんだ。夜ご飯を食べ終えたので避難小屋へ、避難(笑)(次の日顔がぼこぼこになってしまったらどうしようかと思ったが、私は大丈夫だった。夏は虫よけがあるとやはり、安心。虫除けスプレーも、簡単に作れそうなので自作してみよう。)

down light

陽が墜ち染まる空に誘われ、ハーブティーとカメラを持ち上まで来る。山肌に雲が覆われてゆく姿を見ながら、山の、冷たい風に吹かれる。ここも、天空の城かな。

3000mに近い森林限界を歩くと突如、低木の花畑の道に出ことがある。すると、いつも思う「ここは、天空の城だ」と。山道の視界を遮る周囲の木々の間からは、空と、眼下には雲海が広がっている…そういった浮世離れした美しさが、こんな高山の厳しい環境の中で咲く草花たちが。私はこの世界の美しさに打ちのめされている

この地球に生まれてきたというだけで私は、生きるに値すると、そう思う。

night

夏至前の山は、日が長く20時を過ぎてもほの明るい。

その日は雲のない夜で、次第に私の頭上の窓から

星々が瞬き始めていることを、確認する。

私が山へ登るひとつの理由は、星空だ。

山の肩に佇む山小屋で夜を明かすということは飛行機にでも乗らない限り一番、星空に近づける夜になる。標高が高いため夜は大気に覆われてしまうことも多いが、この日はよく澄んだ新月の夜空で、闇が深まるほどに光を増す星が眩しいほどだった。身体は疲労困憊しているはずなのに上手く眠りにつけない太刀なので長い夜を、うつらうつらしながら時々、窓の外の星を眺め、過ごした。